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2022年11月より開講した、Kotowari Winter Fellowhip 2022-2023。隔週のリーディング課題とセミナーを終えたフェローの振り返りをご紹介しています。今回は、Week2:”Being & World”の振り返りを、フェローの「たんご」よりお届けします。

やりたいこと至上主義

 

人は人生の様々な局面において、内発的でない、他所様から借りてきたような世間の当たり前、常識としばしば付き合っている。このような規範、道徳、価値基準、コードなるものとは一体何なのか。それは人の目を曇らせるものなのか、幸福をもたらすものなのか。社会を変えるとは、そうした社会のコードに対して何を為すことなのか。社会のコードが監獄であるとして、その外に出ることで監獄からの自由はあるのか、監獄の外に出るとは何か、そもそも監獄の外はあるのか。2人の筆者がそれぞれアメリカとインドという異なる文脈から論じた文章を読みながら、考えた。暫定的な答えは、多分、違和感を感じながら動き続けることにしか糸口は無い、ということだった。

自分には今、大学受験を数ヶ月後に控えた弟がいる。勉強もなかなかにしんどいし、お受験用の勉強にも辟易しているし、将来やりたいこともぼんやりとしている、されど社会のスタンダードに背を向けて我が道を行く勇気も信念が現時点ではっきりとあるわけではない。そんな彼を見ていると、こうした社会的コードの抗い難い引力を感じる。「別に受験も何も気にしないでやりたいこととか好きなことやればいいじゃん」と、さも悟り切ったような口調でついつい弟に軽口を叩く自分がいる。自分自身は無思考に受験ゲームをこなして、それこそ社会のコードが用意するレールにただ乗っていただけなのに。案の定、弟は「お兄ちゃんは受験成功したタイプだからそんなこと言えるんだよ」と返す。

全くその通りである。安住の地でぬくぬくしている奴に悟り顔で「リスクを恐れずチャレンジしよう、好きなことをしよう、飛び込もう」と言われるほど腹の立つこともそうそう無い。まずお前が服を脱げという話である。

でも、違うんだよとも思う。社会のコードに乗ることに違和感を感じ、その先に多分何も無いことを薄々感じてきたからこういうことを言ってしまう。「お前のためだ」というお為ごかしな父権主義の厭わしくもあり、難しいところである。

これを「やりたいこと至上主義のジレンマ」と名付けてみた。「お前は自由なんだ、お前はその自由な命を何に使うんだ、お前のやりたいことは何だ」と迫るような社会のコードに居心地の悪さを感じること。

でももしかしたら、この居心地の悪さこそ糸口たりうるかもしれない。やりたいことに到達した、居心地の悪さの原因から外に出た、と落ち着き、安住した瞬間、それはまた別の監獄の中かもしれない、というように永遠に続く影踏みが始まる可能性が潜在している。この居心地の悪さ、割り切れなさが、自分を一点に留め置かせない力として働く。これは、世界とのギャップを感じる自我がある限り永遠に続く運動なのかもしれない。

言葉は、実感の伴わないお題目と化したその瞬間に、死ぬのだと思う。もしくは、言葉は常に実感、体感という生命を吹き込まれ続けなければいけないのだと思う。ここに、社会のコードと人の善き生の乖離が生まれるのかもしれない。言葉は容易に生命を失い得る。コードは、規範は、道徳は、動き続けなければならない。

社会のコードという監獄を幾重にも超えた先に、本当に不断最高の喜び、善、真理のようなものがあるのか、外から眺めている今の自分には、多分絶対に分からないのだと思う。したがって、違和感を感じる自分を大事に観察しつつ心惹かれる方へ向かって動き続けることの中にこそ、善く生きるための糸口がある、というのが、自分の中での暫定的答えである。

たんご

2022年のサマースクールに参加して、人が面白すぎたのでフェローシップに応募。国際関係論と人類学の勉強をしている。毎日大学で本を読む日々だが、早く世界放浪に出たいと思っている。これまで自分の内面と身体に対峙することは疎かにしてしまっていた実感があるので、これからその方向に深めていくのがとても楽しみ。

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