



いま、私たちは文明そのものの問い直しを迫られる時代に生きています。
科学技術の発達と市場経済の拡大によってかつてない豊かさを手にしながらも、地球環境の危機、心の空洞化、社会の分断は深まり、私たちの「在り方」そのものが問われています。
KOTOWARIは、そうした時代の裂け目に立ち、「新たな文明の種をまく」ことを使命としています。
それは、ただ新しい知識や解決策を生み出すのではなく、悠久の時の流れと意識の深みから湧き上がる真実=“理(ことわり)”に立脚し、内なる変容と世界の再創造を同時に進めていくことです。
私たちは、「変わりゆく世界」の中で、「変わらぬ本質=理」に立ち返るための探求の場を、世代や国境を越えて共に育んでいます。
現代社会が抱える複雑な危機は、単なる制度や構造の限界を超え、人類の認識そのもの、世界を捉える枠組みの深層にある歪みから生じているとも言えるでしょう。
その歪みを癒すためには、表面的な対処や短期的な成果を追うのではなく、「ものごとの本質を直観し、内側から変わる力」が必要です。この力は、個人の深い省察と共同体の共鳴からしか生まれません。
KOTOWARIは、「探求者たちの源郷」として、
世界を変える前に、世界の見方を変えるための道をひらいていきます。
それは、現代的課題を超えた文明的・精神的次元の探究。
次世代の創造者たちが、自らの「理」に根ざした行為を通じて、
人間、自然、社会、そして目に見えぬものすべてとの新たな関係性を結び直すための道です。
いま、私たちは問いかけます――「この時代において、人間とは何者なのか?」「ともに生きるとはどういうことか?」
「理(ことわり)」とは、変化する現象の奥に脈々と流れる秩序と真実。
それは、東洋の道に通じ、西洋の理性とも響き合う、生きとし生けるもののいのちを支える源です。
KOTOWARIでは、この「理」をただ思想として学ぶのではなく、身体、自然、問い、関係性、創造的実践を通して、生きた感覚として体得していく道のりを大切にしています。
私たちは、以下の三つの「理」の交差点に立って活動を展開しています:
自然の理:季節とともに巡る命の循環、大いなる存在のリズム。
文明の理:哲学や歴史、科学や芸術など、人類が築いてきた叡智の系譜。
個の理:一人ひとりに宿る不可侵の中心。内的真実への信頼と、他者や世界との誠実な関係性の中に育まれるもの。
この三つが交わるところに、次なる時代の創造がはじまります。
自然、歴史、そして人々の精神的なつながりを深く探求する巡礼の旅路。土地の持つ叡智と調和しながら、自身の内なる探求と悠久の流れのつながりを深める。日本各地の聖地を訪れ、そこに息づく伝統や文化に触れることで、個々の体験が新たな視点や洞察をもたらす旅路を創出します。



野中郁次郎
一橋大学名誉教授
「KOTOWARI 」は、これからの日本に求められる教育の雛形となりうる、重要で新しい試みだと感じています。非常に複雑な問題である気候変動や環境問題など、現代の危機に取り組んでいく今の若者に必要なのは、問題を表面的にみるのではなく、その根底にある本質を直感する力です。
そのためには、価値観と共感をベースに自分の生き方と在り方を探究していくことが必須です。そうする中で、私たちが求めるべき意味が本質的に見えてくるはずです。この集まりが、志ある若者たちにとって、これからどのように生きて、どのように社会を良くしていくかを考える大きな一助となることを期待しています。


竹内弘高
国際基督教大学 理事長
日本、そして世界の未来は、今の若者たちにかかっています。気候変動や環境問題というのは避けては通れない根本的な問題である一方、今の若者は経済成長という一見矛盾する課題とも向き合っていかなくてはなりません。
KOTOWARIが提供する場は、多くの若者にとって、自分自身と地球の未来について深く考え、新しいビジョンを描くための絶好の機会となるでしょう。私はこれまでKOTOWARIのメンバーたちと共に数々の仕事をしてきましたが、彼らは日本、ひいては世界を動かしていける人材であると確信しています。この活動が若い世代の未来を築く礎となることを願っています。