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こんにちは、去年のKOTOWARIのプログラムに参加した今井です。

このブログでは「KOTOWARI会津サマースクール(以下、KASS)」の魅力を、昨年の参加者たちが自分の言葉でお伝えします。初回は今井が担当します。僕は大学でロシア文学を専攻していますが、昨年から第一次産業に関心を抱き、全国の農家や漁師のもとを訪れるようになりました。現在は利尻島で昆布を干しています。今年のKASSにはボランティアスタッフとして参加する予定です。

干されている昆布たち

「大学では答えのない問いを扱う」
誰しも聞いたことのある言葉です。たしかに講義で大学の教員が語ることは答えのない問いばかり。しかし、それらに繰り出される仮説や意見を批判的に受容こそすれ、提示された問いを自らの問いとして引き受けて、主体的に思考する学生は滅多にいません。僕も周りの学生と同じく、傍観者のような態度で講義を受けていました。

ある本で環境問題の現状を知りました。その複雑さと地球規模のスケールに、僕は当事者の意識を抱きながらも、圧倒的な無力感を覚えました。同じ問題意識を持つ知人は少なく、とはいえ環境団体に飛び込む覚悟はなく、僕は袋小路に入りました。そんな時にKASSを知りました。

KASSは「哲学的な問いを根幹に据えた環境教育」を掲げています。

自然とは何か?
人間とは何か?

これらの問いにも、やはり唯一解は存在しません。その大きさと抽象さに圧倒されながらも、参加者は会津の地で探求を行います。

ゲスト講師によるレクチャー、体験型アクティビティ、ディスカッションなどの豊かなカリキュラムによって、KASSは参加者に多くの知識と経験を与えます。しかし、それらがもたらす効果について固定的な理想を持っていません。各々の気づきを尊重し、寄り添うのです。 参加者は論理・直感・想像によって会津での学びを繋ぎ合わせて、自分だけの探求を行います。講師とスタッフは必要に応じて声をかけ、時には対話によって探求をサポートします。僕はいたるところで彼らが参加者と対話している姿を目にしました。

会津での濃ゆい日々を経て、僕は問いと対峙する覚悟、そして主体的な思考・行動の術を得ました。それは第一次産業に従事する生き方に大きく関わっています。あの夏に出会った他の参加者たちは、それぞれ異なる(かけがえのない)ものを得ました。例えば、ある女性は環境問題への向き合い方を見つめなおし、アクションをする前段階の内省に重きを置くようになりました。また、ある男性は想像力の重要性を認識し、詩作をはじめました。

もちろん、誰しも探求の道半ばです。参加者たちはサマースクール後も声をかけあい、支えあって、それぞれの道を歩んでいます。

KOTOWARI会津サマースクールは参加者それぞれの探求に伴奏します。その成果はデータや功績で示されることがありません。しかし見事に可視化されます。それは最終日の参加者の姿。彼らが全てを物語っているのです。それぞれの探求の先には、地球の未来を明るく照らすものが待っている。サマースクールを経て、僕はそう確信しています。

今井壮太

京都大学文学部スラブ語学スラブ文学専修五回生
落語とビートルズとチェーホフが好き
たくましくなるため 休学中

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