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“参加前は、問題を解決をしようと、なにかを起こせないかと考えるのがよいと思っていた。参加後は、問題に対して一旦一呼吸を置くようになった。その良さに気づいた。よって、私が解決しようとしてるのは表面上だけの問題であることに気づいた。考えることはすごく大切だけれど、五感という平等に感じられる器官が備わっていることに感謝しようと思った。”
“漠然と「悪いもの」と捉えていたものが、「考えれば考えるほど訳のわからないもの」という認識に変わりました。 ただ、だからと言って思考を放棄するのではなく、私の一つ一つの行為は選択であって、少なからずそこに責任も伴うわけで、これからもたくさんの人やものとの関わりの中で自分や世界を見つめていきたいと思うようになりました。 また、同世代で、環境問題についてすごく意欲的に取り組んでいる仲間がいるということも改めて知りました。今の私は、彼らのように活動することはできない(気持ちの面で)とも感じて、だからこそ自分を内省する時間を作りたいと思いました。”
“解決の糸口は社会の制度的変革ではなく、自分も含めた個々の人々の生き方にあると考えるようになった。字面としては平凡な言葉ではあるが、非常に本質的であると思う。自分は環境問題について考える際、往々にして社会や国家という大文字の主語に目が行きがちであった。しかし、当然のことながらその構成員たる個々の人々や他の生物、非生物といった全てのアクターがひしめいている。この多様性溢れる領域がいかに現行の環境問題への向き合い方を変えるかを意識していきたい。”
“サマーリトリートに参加してから、なんとなく、生活を送るのが楽になりました。サマーリトリートの5日間は、絶え間なく刺激的な毎日でした。講義やディスカッション、あの場にいた方々とのコミュニーケーションなどの外側からの刺激も多くありましたが、それと同時に、自分の内側と向き合う時間から気づくこともありました。忙しない日常の中で見失いかけていた、自然体の自分、本当に考えていること感じていることは何か、を思い出すことができたと思います。それによって、改めて自分の中にしんができたように感じています。自分に真っ直ぐという感覚を得ることができました。”
“5日間、南会津でみんなと過ごして、焚き火を囲んで夜遅くまで対話する中で、自分に向き合わされた感覚がありました。自然と調和して心地良さを感じる感覚。小さな発見に対して感性を尖らせることから導かれる心の豊かさ。今という瞬間の奇跡を吟味して時間をムダにして生きるということ。毎日毎日やることに追われて「ムダ」をいかに切り落とすかを考えて都市で生活する中で、自然の中で過ごすこと、言葉で考えないで身体で感じること、ぼーっと時間がただ過ぎていくのを感じることを「時間の無駄」として捉えて、なるべく生活から削ぎ落としていました。KOTOWARIで人や自然との繋がりを感じる中で、自分がいつの間にか忘れてしまっていた大切なものを思い出したし、部分的に取り戻すことが出来たと思っています。たくさんの素敵な出会いに恵まれた、なんだか現実だとは思えない不思議な5日間「密度の高い空白」でした。”
“「今」の捉え方が変化したと思います。 普段の「今」は一瞬で、見つめるまもなく過ぎ去ってしまうものですが、 この5日間は、とにかく「今」「ここ」「私」と向き合って、自分がどうしてここにいるのかを考える時間になりました。 あまりイメージのわかなかった「今」というものが前よりも鮮明になり、 自分が本当に多様で様々な循環の中で生きているということ、自分の身体という容器のようなものの中と外は常に繋がっていて、食べ物や空気・情報・考え方・感じ方が絶えず出たり入ったりする循環の中に、「今」があるということを感じるようになりました。”
“私は自分の人生とこの世界に対する見方が変わりました。心の安定を取り戻す方法を知り、自分の「社会問題」に対する認識の狭さを知り、まだ見ぬ世界がとても広いことを感じました。私の人生はこのプログラムと皆さんとの出会いによって、これまで見えていなかった道に進みそうです。皆さんにお会いすることができ、本当に幸せでした。皆さんが皆さんの人生の一部をプレゼントしてくださったことを決して忘れません。”
“100点満点中、1万点をつけたいくらい、学びが多い素敵な機会を頂きました。 当日の運営に携わってくださった方々、参加者に見えづらい裏方で支えてくださった方々、地域や講師の方々、支援してくださった財団や企業の方々、全ての関わる方々に心から感謝します。まさに自分は自然や社会の繋がりの中で生きる存在であることを、サマーリトリートにおいて受け取る全てから理解するしかない時間でした。できればこの感謝を皆さんにお返ししたいし、それが難しければ、また他の人への恩送りという形で繋いでいきたいという気持ちです。本当にありがとうございました。”
“サステナビリティにおける課題解決が自分のやりたいことであるという認識の上で、その中の特に何にフォーカスするべきなのか迷いがあった。その迷いを紛らわすために様々なアクションをこれまで詰め込んでいた。活動自体がいつしか目的のような感じになってしまっているのに気づかなかったが、本スクールを通じて内面から湧き出るものの重要性を感じることができた。今後自身の内省をさらに意識的に取り組みたいと思うことができた。”
“言葉の外の領域に豊潤さを感じるようになった。参加以前は、近代社会が言語によって形作られており、様々な平準化と捨象の上に成り立っているであろうことを、理屈の上では理解していたものの、それを手触りのある実感として得たことはなかった。しかし、言語を極力排しながら、自然に没頭する、民族誌映画を鑑賞する、瞑想やヨガをするといったことを通して、これまでの自分では規定、解釈ができない豊かな領域の存在が僅かながら感じられた。”
“今まで生きてきた中で、真正面から正直に自分と向き合ったことがあったかと聞かれたときに、そういえばなかったとか、向き合わなければならない瞬間があったはずなのにできなかったような経験をしたことがある人。楽しい、嬉しい、悲しい…色んな感情を経験と共に持つけれど、そんな感情をより濃厚なものにして自分の人生を大切に生きたいと心から思えるならぜひ、このプログラムに参加してほしい。日常と離れた環境で頭を良い意味で空っぽにして自分と向き合う時間と、同じように自分自身と深く真剣に向き合っている人たちと一緒にいることができる空間はKOTOWARIでしか実感できないものだと思います。”
“こうでもしないと分からないものがある、という「こうでもしないと」を今出来る範囲で出来る究極のところまで突き詰めていくような場所だった。私にとって、必要な場所であり、できるだけ素に近い状態でいられる場所。しかし、いくら内省の助けになるとは言え、内省を重ねる内に結局は一人で向き合わなければいけない部分はでてくる。故に逃げたくなるときがある。けれど、また自分に向き合おうと戻って来ることができるのは間違いなく、この場で生まれたつながりがあるからだ。同じように葛藤している人でも全く違うものの見方するし、自分と被ることのない人と考えをシェアしたり、文献に取り組んだり、純粋に楽しいと思える時間を共有することは、従来の自分がいかに殻に閉じこもっていたかを気づかせ、視野を広げさせてくれる。”
“自己整理をする、ということがどういうことなのかが分かってきました。今まで取り組む勇気と覚悟がなくて、全然していなかったことをやってみました。観たくないものを観ることです。 やってみると、自分の反応や行動パターンがこのようになっていたのかと、真っ直ぐに向き合って、俯瞰的に観ることができました。観たくないものを観るということは、これから私がより良い人生を歩むために、自分になるために必要なことで、覚悟を持って取り組んでいこうと決意することができました。自己認識を広げることで、細かいことが気になったり過敏に反応してしまう自分を「俯瞰する自分」に出逢えるということに気づくことができました。この俯瞰する自分を持ちながら、違和感を持つ部分に対し「何故だろう」と問いかけてパターンに気づいて行動を変えていくことが大事だと感じました。”