このフェローシップでは、サマーリトリートの内容を土台にして、時代的にも文化的にも多様な哲学、理論、実践を探求していきます。この探求の根底にある問題意識は、現代の世界が直面している不確実性と複雑さを包含するようなパラダイムが、いまだ存在していないということです。フェローシップを通して、探求の意志を持った若い世代のフェローたちと共に、この世界の変化に対する共同的な意味づけを行っていきます。このプログラムのファシリテーターもゲスト講師も、答えを持っているわけではありません。答えを提供するのではなく、深い共感と意味の共有が立ち上がる場を創り、各々に見える世界の限界を理解・尊重し合い、向き合うべき問いに向かっていくための「探究の共同体」を作り上げることを目指しています。
過去の参加者の声
- 今まで取り組む勇気と覚悟がなくて、全然していなかったことをやってみました。観たくないものを観ることです。 やってみると、自分の反応や行動パターンがこのようになっていたのかと、真っ直ぐに向き合って、俯瞰的に観ることができました。観たくないものを観るということは、これから私がより良い人生を歩むために、自分になるために必要なことで、覚悟を持って取り組んでいこうと決意することができました。自己認識を広げることで、細かいことが気になったり過敏に反応してしまう自分を「俯瞰する自分」に出逢えるということに気づくことができました。
- 今まで生きてきた中で、真正面から正直に自分と向き合ったことがあったかと聞かれたときに、そういえばなかったとか、向き合わなければならない瞬間があったはずなのにできなかったような経験をしたことがある人。楽しい、嬉しい、悲しい…色んな感情を経験と共に持つけれど、そんな感情をより濃厚なものにして自分の人生を大切に生きたいと心から思えるならぜひ、このプログラムに参加してほしい。日常と離れた環境で頭を良い意味で空っぽにして自分と向き合う時間と、同じように自分自身と深く真剣に向き合っている人たちと一緒にいることができる空間はKOTOWARIでしか実感できないものだと思います。
- こうでもしないと分からないものがある、という「こうでもしないと」を今出来る範囲で出来る究極のところまで突き詰めていくような場所だった。私にとって、必要な場所であり、できるだけ素に近い状態でいられる場所。しかし、いくら内省の助けになるとは言え、内省を重ねる内に結局は一人で向き合わなければいけない部分はでてくる。故に逃げたくなるときがある。けれど、また自分に向き合おうと戻って来ることができるのは間違いなくフェローシップがあるからだ。同じように葛藤している人でも全く違うものの見方するし、自分と被ることのない人と考えをシェアしたり、文献に取り組んだり、純粋に楽しいと思える時間を共有することは、従来の自分がいかに殻に閉じこもっていたかを気づかせ、視野を広げさせてくれる。
- サマースクールでは、新しい事柄を学び、ひたすら頭の中を混ぜられました。それから、外に外に向いてた自分を、まず中にフォーカスするというきっかけを与えてくださったのもサマースクールです。ただ、サマースクールのときは、KOTOWARIで学んだ時間を外の時間として、日常生活と切り離していた自分がいました。点にはなっているけど、線で繋がってなくて、日常化できていない感じでした。でも、フェローシップを経て、今まで点だった、ピースとして拾ってきた部分が線になりました。また、今から、また新しく始まる起点になると思ってます。
- サマースクールでは今までの自分の人生を飾ってきたものが何だったのか、それに気づき真正面からぶち壊された感覚がありました。ただ壊されて、取り残されたのが小さくて弱い自分だったというだけで、今後どうすればいいのかの答えが全く分からず、這い上がることができない穴に落とされたようでした。フェローシップでは、「観たくないものを観ていなかった」という気づきを得れた面ではサマースクールと同じでしたが、それ以上に1年半前のサマースクールから今までの経験がひとつひとつ結ばれていくような感覚がありました。今までの価値観が崩壊された感覚や、そこから自分なりに何とかしようと努力したこと、そして今後どのように生きていけば良いのか、これまでのひとつひとつの経験がどういう意味だったのかが何となく分かり、今後どうすれば良いのか一筋の光が差し込んだようでした。
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